入隊式を終え、いよいよ海上自衛官としてスタート

こんにちは。高校を卒業して練習員で入隊し、定年退職した海自(海上自衛隊)OBのTabby(@Tabby_blogです。

ここでは、海上自衛隊で勤務している隊員の中で、悩みを抱えながら過ごしている隊員に向け、その悩みを少しでも軽減できないか?を、私が思い、実際に行った対応などを記事にしてみました。

目次

入隊式を控えて

教育隊へ着隊(到着)してから当分の間は、毎日が不安や期待の混じった日を過ごすことになると思います。

入隊式を終えるまでは、何やら制服を着た人(班長)が午前中はこっちへ行け、午後はこれを行うから準備をしておくように。と、入れ替わり、立ち代わりに指示が出され、その指示に従って動く毎日だと思います。

指示どおりに動いている間は良いのですが、時折、” ” ふと ” ” 我に返り「無事に教育隊を修業できるだろうか?」、「入隊式前に辞めて地元に帰ろうかな?」と頭を過るのは皆が同じです。今は、時にまかせ、入隊式を迎えて下さい。

入隊式の事前準備

入隊式を迎えるに辺り、立付け(予行練習)が行われます。入隊式前に、各自へ制服・制帽・ネクタイ・短靴(黒色の革靴)などが供与され、制服へ階級章の縫い付け、アイロン掛け、靴磨き、と慣れない作業が待ってます。

100人もの同期が居ると、早々と制服等の整備を終えて次のことに取り掛かる人や、慣れない裁縫道具を使い、制服に階級章をやっとの思いで縫い付けたのは良いが、着用してみると斜めに傾いていたり、階級章の高さを図ったみると規則どおりの高さ、位置でなかったりと、早くも得意・不得意による個人差が現れるものです。

裁縫が不得意な私は、教育隊終業後は基地内に居る専門・業者さんへお願いしてました。

入隊式は、教育隊へ着いた後の2週間前・後で行われます。式を終えると、何かが明らかに変わりました。それは言わずと知れた私たちの扱いでした。

入隊式前は、まだまだお客様気分で過ごすことが出来ましたが、さすがに式後は、自衛官としての教育が始まり、班長たちの様子が一変しました。
昔は「ハラスメント」という考えがなく、連帯責任としての罰則もあり、逆にそれが同期の絆を強めたとハッキリと言い切れます。

適性検査

この適性検査は、全力で頑張って下さい。
何故なら、この先の職種(仕事)を決めるための大切な検査だからです。

出来る限り多くの職種に適性があれば、先々で選択できる余地もありますが、適性が限られていれば希望の職種に就けなくなります。

そのためにも全力で受検することと、将来は「艦(ふね)に乗りたい」、「地元近くの航空隊で勤務したい」と出来るだ早く進路を決めるようにして下さい。

私の時代は、特に航空隊希望者が多く、ほぼ希望が叶わなかった記憶があります。

体力・水泳能力測定

私たち昭和の時代、幹部以外の隊員は「頭から下で奉公」といった存在でした。

言うまでもなく、勉強は不得意だけれども運動だけは得意な隊員が多かった時代でもありました。

ただ、私のような「無芸大食」と言われるような隊員が居たのも事実です。

「海上自衛隊=水泳が得意」なハズが、全く泳げない隊員、泳げるが規定タイム以内で泳げない、泳ぎの型が不自然などで、未熟者「赤帽」(下の図7級のタイムを切れなかった場合)と呼ばれる隊員も散在して居ました。

そのうちのひとりが私。赤帽は、15時過ぎから別課と呼ばれる時間帯に50mプールへ行き、目標タイム(平泳ぎ)を切り、そして「泳ぎの型」も海で長時間の泳ぎに耐えれるよう、

苦手な私は、この時間が一番の苦痛であり、プールの独特の匂い、雰囲気は修業するまで好きにはなれませんでしたが、そこは海上自衛隊、心配しなくても体育教官がしっかりと指導してくれます。

自慢ではなく、この私でさえ4か月後には海で「5Kmを完泳」できるようになったのですから。

横須賀・呉・佐世保 各教育隊の英語環境

今の教育隊の教育・生活環境などは、昔と同じではないことは分かっていますが、私たちの時代は、入隊式を終えてから最初の土・日は外出が許可されず、2週間後の土・日が初めての外出でした。

そのときの嬉しさ、開放感は、今でも忘れません。

何度か外出を繰り返すと、徐々に行く場所もなくなって来ました。

是非、行く場所がなくなったときは、米軍基地へ足を運んで下さい。

米軍基地は、皆さんが持っている身分証明書で入門できます。フードコート(軽食)ならば立ち入り出来ますので、バーガー、ピザ、タコスなど食べながら、ネイティブな英会話を耳にしてみて下さい。

普段とは違った世界が待ってます!!

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